教育がそもそもソーシャルなたった一つの理由 ― 未熟なヒトの子

こんにちは。ShareWisの辻川です。

学習系のWebサービスであるShareWisに従事するものとして、学ぶって何だろうとか、教育って何だろうと考えることがあります。

最近流行りのソーシャルラーニングの中に、何か答えがあるんじゃないだろうかと、「ソーシャルラーニング入門」という本を読みました。


ソーシャルと学習の関係性について論じた本だと勝手に想像して読んだのですが、内容としては社内のナレッジマネジメントにSNSを活用する話題がほとんどで、僕が勝手に期待していたものとは違っていました。

そんな中、ふと古本屋で手にとった本に非常に面白いことが書かれていました。

大田堯 著 「教育とは何かを問いつづけて」

著者の教育に関する考察が時代毎に記載され、その部分もとても興味深いのですが、最後に書かれている「種の持続のために -現代日本の教育を考える-」がとても刺激的でした。

そこでは、教育の目的について論じられています。

教育の目的は「ひとねる」だと著者は言います。

「ひとねる」あるいは「ひとなる」は岐阜県あたりの方言で「人を人にする」「人が人になる」という意味です。

人の社会で生きていける人へと育てることこそが、教育の目的だと言っています。

これだけだと、教育基本法の第一条でも「人格の完成」を目指すのが教育の目的とあるように、当然のことを言っているだけのようにも聞こえますが、著者はそこから人の生物学的な特徴まで話を広げます。

なぜ、人にとって教育が、「ひとねる」ことが、そんなに重要なのか、その答えは、ヒトという種が赤ちゃんをあまりにも未熟な状態で産むからだと指摘しています。

よく言われるように、ウマの赤ちゃんなんかは生まれてすぐ大人のように立ち上がります。
一方ヒトは、立ち上がるのに1年、大人のように振る舞うにはそれこそ、10年、20年の月日が必要です。

赤ちゃんはこの社会で生きるにはあまりにもか弱く、未熟な状態で産まれます。
そのため、子育ては困難で、多くの人の助けを借りないと満足に子供を育てることはできません。

だからこそ、ヒトは他者とコミュニケーションをとり、コミュニティを作る必要性がありました。

あまりにも未熟な赤ん坊を中心として、多くの人が関わりあい、その子を「ひとねる」ために、それぞれの知識を分かち合い、共に教え、学び合っていった、これが教育の始まりであり、教育の本来の目的そのものだと著者は述べています。

僕はこの部分を読んでいて、ふと、もしかするともっと成熟した子供を産む、ヒトに似た種も昔はいたのかもしれないなと思いました。

きっと彼らはすぐに歩き、成長の早い子供を産むことができたからこそ、ヒトよりも初期には繁栄していたのかもしれません。
ですが、成長が早いからこそ、他者に助けを求めるためにコミュニケーションをとる必要性も、コミュニティを作る必要性も、さらには互いに教え、学び合う必要性もなかったのかもしれません。

そして、長期的にはその必要性の欠如が、互いに教え学び合わなかったことが、ヒトと大きな差をつける結果になってしまったんじゃないかとぼんやり思いました。

僕は人類の進化について、これっぽっちも知識がないので、これは単なる妄想かもしれませんが、そんなドラマがあったなら、学んだり教えることってやっぱ人間にとってすごく大事だなと思いました。

(辻川)

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