物事を知って死ぬのと知らずに死ぬのとでは違う

ShareWisサポートメンバーの中屋です。
このブログは、メンバー各人が、教育や学習にまつわること等を独自の観点から描くものです。
私の第一回目は、私の尊敬する「吉田松陰」先生の学問と人生観が込められた言葉を紹介したいと思います。

「知って死ぬのと、知らずに死ぬのとでは違う」

 投獄後の松蔭の逸話

みなさん、誰でも一度は、「何のために勉強や学習をするのか分からない」といった状態に陥ったことはないでしょうか?
幕末、内憂外患の日本を憂い、外敵の研究を企図し、黒船にもぐりこんだ松陰は不運にも捕らえられ、250年の間、入ったが最期、何人たりとも出獄したことがない野山の獄へと投獄されます。
そこで、毎日毎日松陰は誰も聞かない儒学の講義を始めます。「入ったが最期」ですから、他の囚人は聞くはずもありません。しかし松陰は講義を続けます。
呆れた囚人が言います。
「我々は一生外に出ることのできない終身刑なんだ。あんたからいくらいい話を聞いても、外に出て役立てることはできない。」と。
しかし松陰は答えます。

「物事を知って死ぬのと、知らずに死ぬのとでは違う」と。

それに感銘を受けた囚人たちは学習を始めます。その後、松陰本人と、同じく投獄されていた囚人のうち何人かは、獄内での行いに免じ、牢屋を出ることとなります。
牢屋を出た後、囚人は松陰にお礼を述べに訪れます。「あなたが学問を教えて下さったので、牢屋を出ることができ、今日こうやってあなたを訪れることができたのです」と。
松陰に謝意を述べる囚人に松陰はこう答えます。

「私のおかげではありません。
私には権力はありません。お金もありません。腕力もありません。
しかし、学問があります。
学問さえあれば何事だって可能であると、それを信じて、私は牢獄の中で学問をしてきました。それが実を結んだのです。」

この逸話の感じ方は人によって異なるでしょう。
しかし、学習をする中で、偶然面白いと思えることに出会うことや、ある瞬間、ふと単なる知識ではなく、体得できたと思った瞬間は誰にでもあるのではないでしょうか。そうして得たものこそが、松陰の言う「学問」であり、実のある知識なのだと思います。
そして、こういった出会いや体験こそが、個々人の人生を豊かにするものだと思います。
ShareWisの「広がる、つながる知識の地図」にはこういった精神が宿っていると私は考えています。
余談ですが、吉田松陰の逸話を、ShareWis立ち上げに際し、私がメンバーに説いたところ、特に社長が号泣した、という逸話もあるとかないとか。
つづく…かも知れません。

(中屋)

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