こんにちは。田原です。
将棋ファンは皆知っており、そうでない人は皆知らないことだが、第二回 将棋電王戦がクライマックスを迎えている。
電王戦とは、人間とコンピュータが戦うのだが、これがかなりかなり熱い。
第一回は昨年行われ、米長邦雄永世棋聖 が ボンクラーズ に対して熱戦を繰り広げてくれた。
その戦いは、Hunter×Hunterのネテロ会長vsメルエムのようであり、以下の動画で素晴らしく上手にまとめられている。
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=lYuR5j4V56s[/youtube]
そして第二回は五番勝負ということで、五人のプロ棋士が五つのソフトウェアと戦うこととなっている。現在は一勝二敗でプロ棋士側が劣勢、背水の陣で残りの二局に臨まなくてはならないのである。
これほどまでに電王戦が、将棋ファンの間で熱くなっているのは何故だろうか。それはやはり、「人間はコンピューターなんかに負けてはならない」と皆が思っているからに他ならない。そして何故そう思っているかについては、実は合理的な理由はない。
将棋のおもしろさは、羽生棋士が良く使う「大局観」という言葉に集約されているように、一手の重みが当時者が読み切れないずっと先にまで及ぶドラマチックさにあると思う。よってプロ棋士は、勿論「読み」も行うが、一方で「形」を非常に大切にする。結果、美しい棋譜というものが誕生するのである。
一方でコンピューターは、プロ棋士が検討しないような手も含めて全て検討し最善手を探す(「全幅探索」という)。
そしてこの時何手先まで読むかが設定されるわけで、例えばそれが20手先だとすれば、20手先まで読んだ上での最善手が割り出される訳だが、それは22手先まで読んだ場合の悪手である場合もある。
結果、点と点を結ぶような将棋になりがちだという。
しかし、先日行われた電王戦第三局では、コンピュータ側が観戦者をうならせる妙手△6六銀を打っており、もはや「コンピュータはハマった時に正確なだけで、意味の分からない悪手もあるし、つまらない」などということは言えなくなってきている。
しかし実際は多くのファンそしてプロ棋士が、「プロ棋士がコンピュータに負けてはならない」と手に汗握り人間側を応援しているのである。私もその一人ではなるが、この熱気には少し異様さも感じる。恐らく、黒船来航時の江戸時代の人々も同様の熱気を持ったのであろう。「何か良く分からない言語を喋る奴らが開国しろと言っている。これはやばい!攘夷だ、尊王だ!」と。これは単純に、根源的な恐怖であろうなぁ、と思う。
一つ思うのは、この理由なく湧きあがる根源的な恐怖を大切にしよう、ということだ。
世の中で理由のないことほど大事なことはない。
そしてもう一つは、不必要に恐怖することはやめよう、ということだ。
人間はいつも異質なものには、恐怖を抱き、遠ざける。プロ棋士の中には、コンピュータとは絶対指さないと決めている人もいるらしい。それはそれで構わないと思うが、しかし過度に神経質になる必要もないであろう。これだけテクノロジーの発達で便益を受けている人間も、一度テクノロジーvs人間の構図が成り立てば、毛嫌いするのだから面白い。
これだけテクノロジーが発達した今、少しテクノロジーと人間の関係を考えてみるのもいいかもしれない。
あなたは、コンピュータの作った音楽が素晴らしかったらどうしますか?
コンピュータの作った料理がおいしかったらどうしますか?
ロボットと話すのが恋人・友人と話すより楽しかったらどうしますか?
(田原)
コメント
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